現在、日本には医学部が80あります。
内訳は国立43校、公立8校、私立29校です。長らく新設の声を聞くことのなかった医学部ですが、ここにきて久々に新たな動きがありました。
1つ目は2016年開校の東北医科薬科大学の医学部です。
実に1979年の琉球大学医学部以来、37年ぶりの医学部新設となりました。
東北地方の医師不足による医療過疎、そして2011年の東日本大震災後の東北地方の医療を担う人材の育成などに主眼が置かれているのは間違いないでしょう。
この医学部の特徴は「修学支援金枠」です。
募集される学生数はトータル100人ですが、一般枠は45〜55人。
残り50〜55人のうち5人は、支援金の出る地域枠です。
青森県、岩手県、秋田県、山形県、福島県が対象で各県1名ずつとなります。
残った50人が「修学支援金枠」です。
6年間の修学金の受け取り方法や、支援金額によって、A、Bの2つの方式に分けられます。
いずれにしても100名のうち、約55人は修学金で入学することとなります。
従って、地方枠を除く約50人は、日本全国のどこからでも修学金を援助されながら勉強できるわけで国立の授業料程度で済むはずです。
サラリーマンのご家庭でも手が届く範囲だと考えられます。
ただし、倍率は高くなるであろうとは容易に想像できます。
2つ目は国際医療福祉大学です。
内閣府、文部科学省、厚生労働省における国家戦略特区である千葉県成田市に、2017年に医学部を新設しました。
世界最高基準の国際医療拠点を成田につくるという構想で立ち上げられ、国際的な医療人材の育成を目標とし、大多数科目の授業を英語で行うなど、高い水準の医療教育を目指すようです。
恐らく私立医学部の中では、最も家計にやさしい大学の一つとなるはずです。
1877年(明治10年)に東京大学医学部が設立されて以来、旧帝大と呼ばれる大学を中心に、医学部も増加しました。
1961 年には国民皆保険制度ができ、政府は「一県一医大構想」を掲げます。
その結果、医学部の数は先に示した80となり、84年に医学部の定員は一つの山を迎えたのです。
ところが、これに先立つ82年に時の政府は医学部定員の削減に取り組み始めます。
その理由は医者の数が多くなると、医療費の不適切な増大を招くというものでした。
医療費亡国論と呼ばれます。
これは、厚生省保険局長であった吉村仁氏が、83年の1月の全国保険・年金課長会議にて発表した「医療費増大は国を滅ぼす」という論を指します。
吉村氏は「医療保険制度を今改革しなくては、必ず崩壊する」と説きました。
なぜならば、国民の医療・福祉の負担が増えれば、その他の消費行動が抑制されるから、経済に悪影響が出る。
医者を増やして治療の機会を増やすよりも、予防に力を入れたほうが、医療費抑制には効果がある。
一県一医大構想は、将来の医師過剰を誘発する、というわけです。
だから、医者を増やしてはいけないというのです。
その考え方が今日に大きな影を落としています。
それは完全に医師不足の時代を招いてしまったということです。
もちろん、これには日本医師会が既得権益を守りたいという理由もあります。
それで誰も動かないうちに、医師不足は深刻な状態になり、患者のたらい回しや無医村も増えてしまったわけです。
そこで2008年にようやく、自民党政権も重い腰を上げ、医学部定員の増加に舵を切り、その後、医学部入学者は増加傾向にあります。
医学部は新設されていませんが、全体としての定員は増えています。
また09年には民主党が医師の養成数を現状の1.5倍にするという政策集を公表しました。
ちなみに、それによれば、以下のようになります。
医療崩壊をくい止めるため、また、団塊世代の高齢化に伴い急増する医療需要に応え、医療の安全を向上させるため、医師養成の質と数を拡充します。
当面、OECD諸国の平均的な人口当たりの医師数(人口1000人当たり医師3人)を目指します。
大学医学部定員を1.5倍にします。新設医学部は看護学科等医療従事者を養成する施設を持ち、かつ、病院を有するものを優先しますが、新設は最小限にとどめます。
地域枠、学士枠を拡充し、医師養成機関と養成に協力する医療機関等に対して、十分な財政的支援を行うとともに就学する者に対する奨学金を充実させます。
その後、民主党政権になったわけですが、実行力のない寄り合い所帯であるために、ほとんどの計画が頓挫したことは皆様もご存じのはずです。
しかし確かに、少子高齢化で全体の人口は減ります。
しかし、日本は他の先進国に先駆けて高齢化が進展するわけですから、医療の必要性はますます増し、緊急優先事項となるのは必定でしょう。