医学部に合格するためには当然、面接も重要です。
各予備校で面接指導のための対策をしていますから、皆さんも一度は、それを受けたことがあると思います。
私は大学で教師をしていた時に、何度となく面接官として受験生を採点してきました。
その経験から言えば、そうした予備校の面接講座はほとんど無意味です。
あなたの面接練習を思い出してください。
ドアをノックして、呼ばれたら、「失礼します」と元気よく答えて、ドアを開け、お辞儀をする。
「ノックの仕方が違う」とか「お辞儀の仕方が悪い」「まだ座ってはダメ」など、小中学校のお受験と同じレベルのことを教えてもらうだけではありませんでしたか?
そんなものは無意味です。
そのレベルの、いわば礼儀は当然必要ですが、大事なのはそこではありません。
たとえば、ちゃんとしたお辞儀をすることは確かに重要です。
しかし、お辞儀は採点項目にはありません。
違う人生のはずなのに、面接では誰もが同じことを言ってしまう
もちろん、高校や予備校でも面接のやり取りの指導がありますが、これも中身のない場合が大半です。
基本と言えば基本ですが、些末(さまつ)なことばかり皆が同じことを教えるから、結果同じことを答える学生が多くなる。
皆、違う人生のはずなのに、同じ人格になってしまうのです。
たとえば、「高校時代に何をしていたのですか?」と聞かれると、皆が皆、「部活をやっていました。県大会で何位でした」とか、「私は部活で協調性を学びました」とか「努力をすることを学びました」というふうに答えます。
ある時、面接試験官をしていて、思わず、「先生にそう言えと言われたの?」と質問したことがあります。
頭を掻きながら、その学生は何と素直に、「ハイ!」と答えました。
そんなふうに、面接に来る受験生の答え方は、ほとんどが同じなのです。
指導した学校や予備校の先生たちのいい加減さが目に見えるようです。
私の大学の場合、面接官は私を入れて3人でしたが、どの先生も同じような答えであれば評価は当然、B判定でした。
つまり、面接官はそんな答えなど聞きたくないのです。
面接官が知りたいのは「あなたの人格」
「高校時代に、あなたはどのように生活していたのか。結果ではなく、何に必死に取り組んでいたのか」を答えてほしいのです。
県大会で何位かではなく、どれだけ一生懸命に取り組んできたか、なのです。
にもかかわらず、面接指導の先生たちは、そんなことはまったく聞かない。
多分、時間もかかるし、大変な指導になるからです。
小論文の添削もこれと同じです。
添削では、先生たちの多くは「てにをは」を直します。
本来、そんなことはどうでもいいのです。
なのに、お金を取って「てにをは」を添削しているのです。
面接も小論文も、本人と真剣に向き合わなくては、本当の添削などできないはずです。
とくに医学部の論文に関して言えば、多くの場合、本人の発想が根こそぎ変わらなければ、本当に良い点など取れるわけがないのです。
それだけのパワーが必要な話なのです。
面接の特訓を通じて「自己」を理解した生徒の例
そして面接には知識だけでなく、人間性がにじみ出るものです。
実際にそのような指導を行って、国立大学の医学部に何回か合格させた経験があります。
こんなこともありました。
面接試験から帰ってきたある女生徒が私に話してくれたのですが、面接試験の最後に試験官が、その女生徒に対してこのように言ったそうです。
「何十年も面接官をしてきたけれど、高校生が『自己実現』という言葉を使ったのは初め
てだよ」
私はそれを聞いて、「よっしゃ、もらった」と思いました。
実際、「自己実現」ということを徹底的に教え込んでいたのです。
その女生徒は受験の3カ月前に来て、私に「実は精神科医になりたいのです」と言いました。
その理由は、友達から相談を受けるのが好きで、相手が喜んでくれるのがうれしいからだと言うのです。
「だったら、もし友達に相談されないようになったら、どう感じる?」と聞きました。
すると、「それじゃあ、つまらない」と答えました。
「それじゃあダメだ。その程度の気持ちが受験の動機なのか? 情けないやつだ」と私は怒りました。
その日から3カ月間、週に4時間ずつ3日間、その子に面接指導をしました。
その間、録音もさせて、自分の面接を何度も聞き直させました。
「君は他人から頼りにされると気持ちが良くて、頼りにされないとつまらないという。他力本願なんだ。つまり、相談されて喜んだのは友達ではなく君自身なのだよ。君は友達を救わないで、自分を救っていただけなんだ」
つまり、そこには「自己」がないのです。
だから、自分で自分を褒める、認めることができない。
あくまでも、友達が喜んだとわかることで、自分が満足する。
少し難しいですが、自分で自分を満たすことができず、他人によって自己が満たされる。
それで初めて満足できるというわけです。
承認欲求を満たす、などという言い方もします。
それでは他人の気持ちを救う、精神科医になど到底なれない。
なってほしくありません。
本当に他人を救えるのは、強い自己を持っている人だけなのです。
では、自己を持つとはどういうことでしょうか。
私が彼女に言ったのは、次のようなことです。
「他人に評価されるから自分自身が存在していて、他人に評価されなければ、自分という存在もなくなってしまう。そんなふうに自分で自分の価値を他人に預けていてはダメだ」
その後、何回かにわたってディスカッションをしました。
自己の価値を他人に預けてはいけません。
価値は常に自分の中に置くことが大切です。
他人がどう思うか、感じるかではなく、自分で自分の心を満足させられるかが価値判断の基準であるべきなのです。
そうでなければ、人間は強くはなれません。
他人や周りの事情に左右される存在になってしまいます。
ブレない人間にはなれるはずもありません。
精神科医でなくとも、自己を持つことこそ、他人を救う医師の第一歩なのです。
だから皆さんにも、他人や周りの価値判断に左右されない、ブレない強さを持ってほしいと思います。
それが自己実現につながることではないでしょうか。
彼女は、面接の特訓を通して、そのことを徐々に理解していきました。
面接で重要なのは「自分の言葉」
面接の勉強は大切です。
医学部にはほぼ間違いなく面接があります。
私立の場合は100%です。
さらに言えば、近年、受験における面接の重要性はますます高まっています。
ところが多くの予備校でも、親も、面接は二の次に考えています。
だから、今からでも、面接の重要性を見直してください。
些末なことではなく、自分が本当に大切に思っていること、力を入れてしてきたこと、これからしたいことを、自分の言葉で訴えることが一番重要です。
たとえば、大学に「貴」などの敬称はいりません。ドアに引っかかったって、椅子に座るタイミングを間違えても心配しなくていいと思います。
質問に答えるのに、心にもないことなど答えなくていいのです。
本当のことを答えるほうがいいのです。
本当は部活をやめたかったのであれば、それを隠す必要はない。
なぜやめなかったのか、その葛藤(かっとう)を話すほうがいいと思います。
「部活動で協調性を学んだ」なんて、嘘をつく必要はありません。
そのままの自分について答えればいいのです。
それで落ちるということはありません。
中には最初から最後まで敬語なし、タメ口で受かった子もいました。
面接の時の話の内容が良かったのです。
その子も部活をやめたかった。
でも3年間頑張ったら、最後にうれしさがこみ上げてきたと言うのです。
それでいいのです。
そのままの話をしてきてください。
「わたくし」なんて言わなくていい、いつものように「俺」でいいのです。
それで彼は受かりました。
彼の真似をしろとは言いません。
それは彼のキャラクターであって、あなたのものではありません。
あなたは、あなたを主張してください。
ただ面接官が求めているのは、可もなく不可もない優等生タイプの学生ではありません。
一生懸命で熱い気持ちがほしいのです。
そうすれば、この大学に来ても同じように一生懸命に熱く、勉強に、その他の活動に打ち込んでくれるだろうと考えるからです。