私が大学の教師として入試問題を何回も作成して、そしてその採点をしていてつくづく感じたことを話しましょう。
私が、君たちの入試問題の答案を採点している時の話です。
何百枚も○×をつけていくとある日、重大なことに気がついたのです。
今、大学入試問題は約2割が難解な問題で、6割が中級問題。
そして、残り2割が基礎問題という構成になっています。
この比率はどの大学も似たりよったりです。
採点をする順番ですが、このうち難問、論述などは採点が面倒ですから、どうしても簡単に採点できるほうから採点していくというのが常道です。
そこで、難解な問題に行きつく前に、採点している学生の合格が、十中八九わかるということに気がついたのです。
難問の○×をつける前に、「この受験生は受かったか、受からなかったか」がわかります。
その予測はほぼ間違いありません。
つまり、基本と中級問題でもう勝負は決しているということです。
とくに浪人生こそ、よく聞いてほしい。
難しい問題をやって自己満足の世界に入っても、意味がないのです。
学習レベルの低い人間ほど、模試の結果を持ってきて質問します。
難しい問題を指して、「この問題がわからない、わからない」と先生の間を飛び回るのです。
そんな焦燥に意味はない。
そんなところに勝負のポイントなど端はなからないのです。
それだけ難問には一喜一憂するくせに、基本や中級問題での間違いは、ケアレスミスで片づけてしまう。
「わかっているけど、間違えた」というわけです。
そうやって自分の知識、記憶のあやふやさをいつも置いてきぼりにしてしまう。
答え合わせで間違っていても、「あっ、いけね」「そうだよな。わかっているよ」「計算ミスだな」で終わらせてしまう。
なぜ、先生に聞かなくてもわかる問題を完璧にしようと努力しないのでしょう?
とにかく、難解な問題に時間をかけるのはバカげています。
また採点の話に戻りますが、先ほどの逆で、基本・中級問題がほとんど合っていると、難解問題が×でも合格しているのです。
これも事実です。
ならば、難解な問題ができればもっと合格しやすいのでしょうか。
基本・中級問題が完璧に近い上に難解な問題も半分くらい○であれば、それは合格しやすいでしょう。
しかし、そういう受験生は、その大学に合格しても入学しません。
ではどこに行くのかといえば、もっと上のレベルの大学に行ってしまうのです。
その上のレベルの大学でも同じ現象が起き、最終的にできる人間は偏差値トップクラスの国立大学の医学部に行ってしまいます。
となると、時間をかけて難解な問題を解いてみせて得意そうにしている、そんな大手予備校の講師すら必要ないということになります。
先生や講師自体も、小難しい問題を解いて得意になっていることが多いのには困ったものです。
それは講師自身の自己満足の世界なのです。
授業をやっていて、わざと小難しい問題を投げると、そういう浪人生に限って、ニヤッとして正解を答えます。
それも基本・中級を覚えていないくせに、そういう問題を投げたときだけ喜ぶ。
そんな自己満足の世界にいるのです。
そうした学生はことごとく受験に失敗します。
何度でも言いますが、小難しい問題に翻弄されて時間を費やしている学生は、ムダな努力をしています。
それを肝に銘じてほしいのです。