ひとり、偏差値40から見事に医学部に合格できた男性の例を紹介しましょう。
彼の病気は「女遊び」でした。
とにかく女性が好きで、浪人をしても、何年もある女性を追いかけてしまうという若者でした。
私が最初に彼に出会ったのは、渋谷の医学部予備校の一講師であった時代です。
私も決して真面目な青春時代を送ってきたわけではなく、半端者で、やんちゃなこともたくさんやってきました。
だから、他の真面目な先生がそうであるように、彼のことが理解できないということはありませんでした。
だから、他の先生たちもその予備校の社員たちもどちらかと言えば、彼に近寄らないようにしている中で、私は近づいていきました。
彼はある意味、健康な男子で、今は受験から逃避しているだけだ。
生涯、このままということでもあるまいと思いました。
彼はいわゆるプレイボーイタイプではなく、ひとりの女性に惚れ込むタイプでした。
そのことを除くと、素直で、むしろ好青年でした。
だから彼は立ち直れると、私には思えたのです。
そんな私の真意が通じたのか、彼は私の授業だけは真面目に出席をしてくれていました。
それからしばらくして、私は今の自分流の予備校を開設したのです。
すると、彼は私について転校してきてくれたのです。
そうした流れからずっと面倒を見ていたら、彼の成績も伸び始めました。
彼とはよく語り合いました。医師というものについて、彼の人生について意見交換もしました。
相手の女性とのきっかけはナンパだったようですが、その後、真剣になったと言います。
そうであるならば、「恋愛はやめて勉強せい!」などと言う気はありませんでした。
その後、その女性とは別れたようでしたが、すぐに必死に勉強するようになったわけではありません。
遅刻もするし、欠席も少なくありませんでした。
生活習慣から変える必要があったのです。
そこで1週間とか10日とかの単位で、何度か自分の家に泊めて、生活のリズムをつかませようともしました。
海に行ったり、夜の街に繰り出したり、一緒によく遊びもしました。
メリハリは必要だからです。
そうやって遊んで、語って、勉強もして、自分の生き様も隠すことなく見せて、年齢は違うものの、仲の良い友達になっていきました。
そうこうするうちに、彼も勉強を始めたのです。
その時点で偏差値42~43でした。
頭の回転は普通でしたが、本人の中で医師になるという動機づけができたので、集中力も高まり、勉強の効率も飛躍的に高まりました。
ところがそうこうするうちに、今度は家庭が崩壊し、両親は離婚、母親が彼を引き取ったのですが、生活に窮する状況になってしまったために、うちも辞めるという話になりました。
「お世話になりました。あの子は先生のことが大好きなので、本当に残念なのですが、……私もパートに出なければいけませんので」と言って、母親は頭を下げて出ていこうとしました。
私は思わず呼び止めました。
「お母さん、ちょっと待ってください」と言って、その子に問いました。
「お前、まだ本気で医師になりたいのか?」。
すると、彼は涙ながらに「うん」と答えました。
それで彼を預かることにしたのです。
授業料はいらないし、生活の面倒も見ることにしました。
その代わり、お母さんにはその間に何とか入学金を貯めるようにお願いしました。
さすがに追い詰められたのでしょう。
彼の態度が変わりました。
彼は実に見事に生活を切り替えたのです。
それから2年、彼は見事に医学部に合格しました。
実は、大学に合格した時に、ちょうど父親が帰ってきたのです。
それはいいのですが、父親はこちらに挨拶のひとつもありませんでした。
そうした態度が子どももダメにするのです。
しかし、その男子学生は本当に感謝をしてくれています。
「何があっても飛んできますから、いつでも呼んで使ってください」と言ってくれています。
一番嬉しいのは、「僕は医師になったら、先生への気持ちを必ず患者さんに返します」と言ってくれていることです。
教師冥利に尽きる話です。
涙が出るほど嬉しいことです。
自慢話に聞こえたとしたら申し訳ありません。
そんなつもりはないのです。
私がここで言いたいことは、「一念岩をも通す」ということです。
人生の挫折も、自分や家族の不始末も、失敗も、それを糧(かて)にすればいいのです。
人間追い詰められれば、それこそ〝火場の馬鹿力〟が出るものです。
皆さんの人生がどんな人生なのかはわかりませんが、どうであっても、頑張れないことなどないのです。
諦めなければ、道は自ずと開かれるものです。